「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」
「大人になったら使わないような事ばかりじゃん。 」
「もっとためになることをして時間を過ごした方が将来にとって有益だよ。」
そんなことを思ったこと、ないでしょうか?
私自身も学生の頃はそう思って青春を謳歌 していたものです。
でも大人になってわかったことは、やっぱり勉強は必要だったな、ということだらけです。 学生の頃の視野ではわからないことが、大人になってから嫌というほど思い知らされます。
なぜ勉強するのか、なぜ学校で勉強するのか。
勉強する理由はたくさんありますが、大きなものとしては生きるために必要な思考力、記 憶力、応用力、対話力、総合力を養うことがあります。あなたがどんな職業に就こうと、仕 事をせずに自分らしいために生きることにおいても生き抜く上では頭を使うことが必要で す。体を使う仕事でも頭を使うことができなければ覚えることはできません。
勉強の意味は、あくまで基礎力を養うことにあります。意味の無い公式の羅列に見えても 業務でマクロ分析をするときに数学の知識が必要になったり、ビジネスで競合企業との争 いに勝つために市場分析をするときには応用力を使い、営業のために夜の街で接待をする ときにはみんなの気を引く面白い話題を用意する記憶力や対話力が必要になります。
アインシュタインはこう言っています。
「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる、自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。」
勉強を楽しいと思うこと、学ぶことが自分にとっての糧となり喜びになることに気づけば 辛いものではなくなります。
詰め込み式の勉強は辛いことも多いですが、そのことそのものが意味を成すことに気づ けば、運動や基礎練習と変わりはありません。
なぜ勉強をしたくない子供が多いのでしょうか?
それは勉強というものが時間と場所を拘束される苦しいもの、単純作業と同じような感 覚になってしまっているのだと思います。
授業に縛られて、知りたくもないことを聞かされ て書かされていく行為そのものに反発したくなることもあるかもしれません。
眠い時に寝て、食べたい時に食べて、遊びたい時に遊ぶ生活は確かに優雅かもしれません。 ですが生きるためには食料、寝床、健康な体が必要になります。
それを用意するのは家族でも友人でもなく自分自身です。 自分で自律して生きることが大人への入り口になることを踏まえますと、やはり勉強をして生きるための基礎体力をつけることは必要、ということがわかると思います。
学生の頃は親のもとで衣食住を不満の無い状態で過ごしている方は多いですが、それが当たり前になっていることが勉強をしたくなくなる本当の原因ではないでしょうか?
別に自分が勉強しなくても食事もできるし遊べるし買い物もできる、仕事だってしなくても良い・・悲しいことですが大人でもこのような考えの方はたくさんいます。
それは端的に言うと勉強をしてこなかった、もしくは正しい勉強をしてこなかったから だと思います。
勉強に対する意味を見出せないから勉強しなくても生きられるように自分を合わせているのです。 トーマス・エジソンはこう言っています。
「成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらな いからではないだろうか。」
努力の根源は希望にあります。この希望を無くしてただ生きることに時間を費やしてい ると何もせずに一生を終えていくのです。
立川談志はこう言っています。
「修業とは矛盾に耐えることだ」
視野が狭いと修行そのものが無駄に見えてしまいますが、実はこの矛盾に耐えてこそ正しい道に突き進むことができるのです。
勉強に興味を持つことができれば幸いですが、もし興味を持つことがまだできないので あれば、そんなときは修行と思い矛盾に耐えることそのものに意味があると思ってほしい です。
だからといってずっと辛い状況に身を置く必要はありません。自分の好きなことがした ければその時間はしっかり持つべきですし、ゲームをする時間を制限する必要はありませ ん。
あくまで自主的に勉強をすることに意味があるので、無理やり勉強をさせても良い結果 はあまり生まないでしょう。
なぜ勉強をしなければならないのか?その疑問に対しての答えは勉強そのものが生きるために必要だから、そして勉強は楽しいものだからです。
勉強は大事!楽しむ心を持とう
勉強がどれだけ楽しいか、もし今まで勉強が苦しいと思っているのであればその時分を 俯瞰してみて、勉強は本当は楽しいんじゃないか?とは逆に疑問を持ってみてください。
あえて挑んでみれば以外と面白い、自分にあった勉強が見つかるかもしれません。