教育虐待とは、教育熱心な保護者が、子供の意志を考慮せず、過剰な学習スケジュールを課したり、子供が勉強しなかったり成績が振るわなかったりしたときに、厳しい言動や態度を取ることです。
もしかしたらついつい自分が取ってしまっていないか保護者は今一度子供に対しての態度を見直してみると良いかもしれません。
そこで、この記事では、保護者が教育虐待をしないようにするための方法についてみていきましょう。
教育虐待とは
多くの子供は、保護者の学習指導がなければ、勉強をサボります。なぜなら、勉強のなかに快楽を見出すことが難しいからです。
大人でも、勉強や学問を「楽しい」と思える人は少数派です。自己の欲望をコントロールできない子供であれば、なおさら、勉強を放棄して遊びたいと考えるでしょう。
そのため、保護者が「勉強しなさい」と口を酸っぱくして注意して、子供に学習習慣を身につけさせることは必要です。
しかし、学習指導が教育虐待の領域に突入してしまうと、途端にそれは悪いことになります。
保護者がいくら「自分の子供に学習指導をしているだけ」と主張しても、そこに、こうした児童虐待の要素が少しでも含まれれば、それは教育虐待と認定されるべきでしょう。
悪いことである教育虐待は、よいことである学習指導がエスカレートしたものと考えられます。
しかし、教育虐待と学習指導は、完全に分離して考えるべきです。保護者が「なんとなく学習指導が行き過ぎて、教育虐待になってしまった」と主張しても、それは認められるべきではありません。
つまり、「厳しい学習指導」の次のステップが「教育虐待」であってはならないのです。
教育虐待が起きる理由は保護者のエゴ
教育虐待はあってはならないことです。
教育虐待をする保護者は、子供を支配しようとする未熟さがあります。人には少なからず支配欲があります。
犬を飼えば、犬を支配したいと思いますし、学校の部活で後輩ができれば、後輩を支配したくなりますし、会社に勤めて年月が経って部下ができれば、部下を支配したくなります。
それと同じように、保護者は子供を支配したがります。
しかし、実際に支配者のように振る舞う人は、精神的に未熟と言わざるをえないでしょう。
支配欲を抑えられないのは、「自分のほうが優れている」「自分は他人から尽くされて当然の人間だ」と強く思ってしまうからです。
保護者が子供に対して「自分のほうが優れている」と考えたり、「保護者は子供から尽くされて当然だ」と思ったりすれば、すぐに「学習指導が多少逸脱することはやむを得ない」といった考えに到達してしまうでしょう。
そうなれば教育虐待への罪悪感が薄まってしまいます。
子供に自分と同じ感覚を押し付けない
難関大学や有名大学を出て、それなりの企業や役所に就職した保護者で、なおかつ人間的に未熟だと、自分が歩んできた道こそ正義であると考え、子供にもまったく同じ道を歩ませようとします。
もちろん、子供がそのような親に憧れていれば、保護者が子供に「一流大学、一流企業に入るために勉強しなさい」と言っても、教育虐待になることはないでしょう。
しかし、高学歴かつ社会的に高い地位にいる保護者の子供ほど、保護者に反抗したくなります。
そして、高学歴かつ社会的に高い地位にいる保護者ほど、子供の反抗を受容できません。
教育虐待は、子供が反発するほど激しくなるので、子供の被害はより深刻になります。
また、逆に自分のようにさせないためには、「高級教育」を受けさせるしかないと、視野が狭くなってしまいます。
このような保護者は子供に「自分は教育を受けさせてもらえなかった。高額な教育を受けられることをありがたく思え」と「正義の押し売り」をします。
高学歴を持たない保護者が、子供に高学歴を押しつけることも、高学歴の保護者が、子供に高学歴を押しつけることも、いずれの場合も思慮が浅いといわざるをえないでしょう。
高学歴こそ正義であり、高学歴者でしか幸せはつかめないと考えているからです。
そのように考えると、低学歴は悪であり、低学歴者は幸せをつかめない、という思考に陥ります。
そのような思考を持つと、教育虐待を正当化できてしまい非常に危険です。
最後に
保護者のエゴを押し付け、無理強いをさせて進路を支配して決定するということは教育虐待と言えるでしょう。
子供のためと思っていても、子供にとってはそれが苦痛で仕方がないと感じていることもあるので、子供の可能性を潰さないようにしっかりと対応しましょう。
子供が高学歴になるメリットをしっかりと理解できたときに、改めて相談をしてみてはいかがでしょうか。