「天才」と「秀才」はどう違うの? 凡人でも頑張れば天才や秀才になれる⁉
天才、秀才、凡人はそれぞれどう異なるのか。そんなギモンにマナビバがお答えします。
「天才」とは?その特徴は⁉
生まれつき備わった優れた天性の才能を持っている「天才」は「普通の人が努力することで到達することができないレベルの才能を秘めた人物」を指しています。特別な才能をもって偉業を成し遂げるような人は「天才」といえます。
このような天才と呼ばれる人たちの特徴を見ていきましょう。
- 固定観念や一般常識にとらわれない
- 得意と不得意の差が激しい
- 孤独で誤解されやすい
以上の3点です。では、順に見ていきましょう。
「固定観念や一般常識にとらわれない」について
「天才」は、固定概念や大多数の人たちが認める当たり前の常識で物事を決めません。
天才は様々な角度からの分析、洞察力に優れており、他の人と異なる考え方をすることから固定概念にとらわれないアイデアを出すことが多くあります。
私達が一般的に物事を判断するのは観察力による結果で、ありのままをよく見て、その状態や様子を見極めることが多くあります。例えばあの男の人はイケメンだ、なども観察に含まれますが、天才がしているのは観察ではなく「洞察」です。物事に対してその原因や意味を理解し、単に経験則だけではない新たな局面を見出して把握し、解決するにはどうするかまでを考えます。
観察によって感想を持つのは誰でも可能ですが、天才のような個性的な思考には、観察した上で様々なことを「洞察」する力が働きます。鋭い洞察力を天性に抱えている天才には、幼少期から個性的な思考ができる人が多いのです。
その結果、天才から固定概念、常識ではない新たな思考が出てくると言えます。
「得意と不得意の差が激しい」について
天才はなんでも完璧にできそうですが、実際は得意なことや好きなことと、不得意なことや嫌いなことの差が激しいのが特徴です。
スポーツは非常に得意でプロ選手になれそうなのに勉強は全くダメという子が同じ学校に一人や二人はいるものです。好きなことでなければ継続できず、モチベーションも上がらず質が落ちる、という経験は大多数の人たちにも当てはまりますが、天才には特にこの傾向が顕著です。
得意不得意の傾向が顕著な天才ですが、好きなことで人の役に立つこと、本当に得意な事なのかを見極めて、そこから伸ばしていけるかまでを見通すことが可能です。
また、天才には粘り強さがあります。少し失敗したりすぐに結果が出なくても、粘り強く取り組みます。継続してやり抜くことで最後に大きな結果を残します。正しく効果的な方法を見つけて継続することができるのも天才の特徴です。
得意なことでは結果を残すものの、不得意なことは苦手という差が激しいのは天才によくみられる傾向の一つです。
「孤独で誤解されやすい」について
「天才」には、協調性が乏しいために誤解されやすいという特徴があります。その結果孤独になることも多くあります。
一般的に協調性がないことは、共感力が足りなかったり相手の気持ちにより添えないことにつながります。人に従うことや、他人と関わりたくないと思うことも多く、その点で周囲から誤解されがちです。
一般的に人は、周りの環境に流されやすく、集団でいることを好む傾向がありますが、天才の協調性のなさには確固とした信念があります。天才は逆に周囲と協調性を持たず、興味のあることを追求して、もっと知りたいと願います。天才の優先順位は集団でいることよりも常に好奇心です。
そのように個性的な側面を持つ天才は、他人から誤解されることも多いです。小学校や中学校で、その特殊性からいじめの対象になった人もいるようです。周囲から理解されずに変人扱いされるという経験が、その後の人生にも影響します。
凡人が何かを成し遂げるのには時間がかかりますが、天才には周囲から理解されるまでに時間がかかるという特徴があります。それでも天才は結果をすぐに求めず、自分の信念を簡単に曲げず、周りの人の意見に流されません。
信念に忠実に生きた結果、孤独で誤解されやすいという面も天才の特徴です。
「秀才」とは? その特徴は⁉
非常に優れた学問的、身体的な才能、あるいはそのような才能の持ち主のことを「秀才」と呼びます。
秀才を「人よりも秀でた能力を最初から持っている人」という意味合いで理解したり、「元々優秀な能力を持っている人」ととらえる向きもありますが、どちらかといえば「勉強や訓練・努力によって、才能を引き延ばして手にすることができた人」を「秀才」と呼び、ここではそういう意味で話を進めます。
このような秀才と呼ばれる人の特徴を見ていきましょう。
- 努力をして結果を出す
- 多くの知識がある
- 自分の能力を知っている
以上の3点です。では、順に見ていきましょう。
「努力をして結果を出す」について
「秀才」と呼ばれる人の才能は、「自ら努力して行動することで得た才能のこと」を指しています。
「秀才」という呼び方は主に学業について使われることが多いようですが、その人たちは地道な努力を重ねてきた結果、素晴らしい成績を修めた人と言えます。
このことから後天的な要素が強く、「天才」のように生まれ持った才能に恵まれている人とは違います。生まれ持った才能ではないという点では「凡人」とあまり違いません。違うのは努力の量と方法です。
有名なプロスポーツ選手をすぐ天才と呼ぶ傾向がありますが、努力して一所懸命に練習を重ねて大成した選手も多数おり、そういう選手を簡単に天才呼ばわりせずにその努力を讃えてあげることも必要です。
天才と呼ばれるスポーツ選手の中でも天才ではなく人の数倍も努力して結果を出している秀才がほとんどです。
「多くの知識がある」について
「秀才」は物知りで知識があります。ひとつの分野に限らず、多くのことを勉強して知っています。
30代以降になると人生で後悔していることの1位に選ばるのは「学生の時にもっと勉強すればよかった」ということです。
この感想は年を重ねるごとに顕著になりますが、学生の時に好きではなかった英語や数学や歴史を大人になってから勉強している人がいるのはこのこととも関連があります。
一方で、秀才は幅広い分野の知識が将来に役立つことを早い段階で気づき、勉強していますし、秀才は記憶力が高いため物事を長期間にわたり覚えていて、思い出すこともできます。
記憶のコツを修得しており、早く記憶できることで効率的になり、強く記憶することで記憶を取り出しやすくして、長く記憶できることで応用力もついていきます。
記憶力には、先天性と後天的な要因がありますが、一般的に記憶術を修得することは後からでも身につけることができるので、意識して努力をすることで秀才に近づくことは可能です。
努力の結果、秀才と呼ばれる人は多くの知識を持っている人が数多くいます。
「自分の能力を知っている」について
秀才と言われる人の多くは、「自分は凡人である」ことをわかっており、自分の能力を知っています。
生まれながらの天才ではなく、勉強しない限りは無知であることを認めているのです。そのことにより、努力をすれば結果は出せると言い聞かせ、向上心を忘れずに勉強や練習に取り組みます。
そしてテストなどで高得点を取って周囲から「あの人は秀才だ」と言われるようになります。秀才は、天才ではないという点では凡人とさほど違いませんが、早い段階で自分が天才ではない「ただの人」ということがわかっているためどうすればいいかを考え、やるべきことを実行に移します。
その謙虚さが成果を出し、周囲から「あの人は秀才だ」と言われるようになります。
自分の能力を知って、努力を人より重ねた結果、秀才と呼ばれるようになる人が数多くいます。
「凡人」とは? その特徴は⁉
それでは、「天才」でもなく「秀才」でもない「凡人」とはどのような人たちでしょうか。
結論からいえば、「天才」の説明にも「秀才」の説明にも当てはまらない人は、まず「凡人」と思って間違いありません。
大きくまとめると以下の3点です。
- 多数派に流されやすい
- 努力次第で秀才になれる
- 自分が凡人であることに気づくのが遅い
この3点について、見ていきましょう。
「多数派に流されやすい」について
「凡人」は、人の意見に流されやすい性格をしています。多数派か少数派か気にするところがあり、つい多数派に流されてしまう傾向にあります。
それに加えて、凡人は一般常識を日常生活で必要な知識として身につけようとします。常識がないものの、固定観念のような頭の中で凝り固まった考え方や、先入観などから物事を捉えてしまいがちです。
人の思考に固定概念があることは、ある程度は仕方ありませんが固定概念を疑うことも必要です。主観的な考え方だけでは、固定概念に縛られた思考になります。天才などは固定概念を疑い、物事の本質を見ようとします。客観的に物事を洞察しています。
この点で、多数派を客観的な見方であると勘違いしてしまうのも凡人の特徴です。多数派はあくまでも主観の多数派であって、客観とは別のものです。
「努力次第で秀才になれる」について
「凡人」は天才にはなれませんが、努力次第で秀才になることは可能です。秀才と同じく凡人が無知であることに気づくと大きなメリットを得られます。
ありのままの自分を受け入れることにより、自分の価値や魅力を再度確認することができます。そこから努力が始まります。努力することで何らかの結果が出て、今までとは違う価値観を受け入れることができます。
努力すれば自身の能力も上がり、能力が最大限に活かせるような新たな目標が見えてきます。そして未来に向かって力強く進んでいけます。
しかし、「こうなりたい!」と思って頑張って努力しても、凡人の場合は簡単にはかないません。ここで失敗を恐れずに、失敗をポジティブに捉えることが大切です。
失敗することで、いつも落ち込んでばかりの人は成功を手に入れることが難しくなります。秀才の努力を見習い、ポジティブに考えて行動すれば秀才に近づけます。
自分で出した結果を振り返り、ネガティブに感じずに何かができると考えて行動する事で前進できます。
例えば、自分のことをダメ人間と思うのも、固定観念のひとつです。夢に挫折するのも、やる前から「無理」と固定観念が判断しているからです。秀才の人は努力を続けます。
「自分が凡人であることに気づくのが遅い」について
大抵の人は「自分は特別だ」「自分には才能がある」「私はまだ本気を出していない」と、まだ見ぬ本当の自分はもっと凄い、といつの日か本気を出す自分に期待します。
しかし年を重ねるごとに、現実という壁にぶつかり挫折を味わうのが一般的です。ある人は、そこで自分の凡人さを受け入れます。またある人は、自分の凡人さに目をそらします。この時に自分が凡人であることに気づけば、成功のチャンスは出てきます。
凡人に気づいてない人は、人類の90%もいます。実際には、気づいてないというようりは、正面から自分に向き合わないというのが適切かもしれません。凡人と天才とを区別できないでいることの方が、確かに楽な気がします。凡人だと認めたら、成長するためには、残りの人生を「努力」することに捧げないといけないからです。その努力の道を選ぶのが秀才で、選ばないのが凡人です。
人の才能の見分け方は難しく、自分にどんな才能があるのかすぐ気づける人は、少数です。しかし、ある程度のところで現実の自分を認めるのも肝要です。
大多数の「凡人」が意識しておくことは?
「凡人」は他人と比較することが多く、人と同じことを良しとする傾向があります。いつも他人と比較をしていたら、個性的な魅力があっても、それを押し殺すことにも繋がります。人と同じレールの上を走ることは、安全に見えます。しかし、決められたレールの上は、沢山の人が列をなして、行列ができている状態です。
簡単ではありませんが、問題に対してゼロから解決策を考えるのではなく、共通点・相違点などを見つけて、能率的な思考法で、無駄な時間をかけないよう心がけます。凡人は新しい法則や解法を見つけるのが難しいため、天才や秀才の行動を真似てみるのがひとつの方法です。
自分の信念を簡単に曲げないのが天才です。頑固な性格の天才は周りの人と意見がぶつかり合うことで周囲から疎外されることもあります。それでも自分の意見をしっかり持ち、他人の意見に流されません。信念がなければ、途中で横ヤリを入れられて、安直に方針を変える事態になります。凡人は、そのような天才の信念に基づいた行動の一部分を見習うのも大切です。
人は程度の差はあっても、若い人ほどプライドが高く、特別な存在と勘違いして行動する傾向があります。若気の至りのエピソードが、誰でもあるものです。しかし、年齢を重ねるごとに、人生経験が増えて世界が変わって見えてきます。人生経験が増えることで、他人のことがよくわかり特別な存在であるという感情はなくなります。
totolaboの記事「得意なことの見つけ方!「得意なことがない」を脱却する分析・診断を紹介」にて分かりやすくまとめられていたので参考にしてみてください。
「凡人=つまらない人」だけではない!!
凡人には「つまらない人」という比喩的な要素が含まれます。その為に、凡人と言われると、ムッとする人もいます。
「凡人」という言葉の意味は、天才に対して普通であることを意味しているので、本来マイナスな意味合いはありません。ただ、凡人=無能という固定概念がある為に、なかなか受け入れにくい言葉です。
ここで凡人ということを受け入れれば、ポジティブなことが沢山あります。天才か凡人かを簡単に見分ける方法はありません。努力を重ねることで、秀才と呼ばれる人と同等に渡り合えるスキルを身につける人も大勢います。
私たちは、天才に強く憧れを抱きます。彼らの才能が自分にもあれば人生がどれだけ楽しくなるだろうと考えます。ただ、天才たちのヒストリーをみても、人々から称賛される裏側には、並外れた「才能を伸ばす努力」が隠されています。それは、彼らに課せられた運命の重みが、凡人とは違うからです。
どうやってもあの人には敵わないと思う事は、多くの分野で経験します。自分にも何一つ才能がないと認めて、努力を始めることができたら、凡人から一歩前に踏み出せたと言えるのではないでしょうか。
このように見ると、凡人や無知であることに気付くメリットは沢山あるのです。ありのままの自分を受け入れる事が出来ると、自分の「価値」や「魅力」を再度確認することができます。自己肯定感も増していき、今までとは違う価値観を受け入れることができます。能力が最大限に活かせるような、新しい人生プランを立てることができたなら、未来に向かって力強く進めます。
ただ、自己中心的でプライドが高いと他人に対して攻撃的になり、嫉妬を抱きやすくなります。他人と自分を比べることで、「何で、自分にはできないのか……」と深く落ち込むことにもなります。そこで、凡人であることを受け入れて、自分の力を過信せず、また他人と比べてばかりいないことが重要です。今はできない事でも、継続して続けることで大きな力に変わります。才能があるからといって必ず成功するワケでもありません。才能もあり、IQの高い人も怠けていると失敗をします。
まとめ
「天才」は、周囲のことなど気にせず、自分の興味を持つものにのめり込み、自分の才能を開花させることに夢中になります。「秀才」は、実は自分がほぼ凡人であることを早い段階から認め、どうすれば良い結果を導き出せるか考えて努力を重ねます。
これに対して大多数の「凡人」である人たちは、天才や秀才が様々な形で一所懸命に取り組む姿を見て、自分も努力をしようというモチベーションを高めます。凡人も、凡人だからこそ将来に危機感を感じて、周りをよく観察して、変化に敏感になり、成功のヒントを見つける事ができるのです。
人にはそれぞれの道があります。自分の運命を受け入れて、そこから踏ん張って自分を活かすのは、才能ではなく、「気持ちの強さ」であるといえます。